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第42回(2001年)宝塚記念

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世紀末覇王・テイエムオペラオーに挑み続け、
遂に「6度目の正直」で栄冠をつかんだ執念
メイショウドトウ

一団の馬群が阪神競馬場の3コーナーを周る。
先頭に並びかける勢いでメイショウドトウが上がって行く。
王者・テイエムオペラオーは後方の馬群に飲まれ、大外に持ち出そうとしていた。
直線。メイショウドトウが「来るなら来い」という気迫で先頭に立つ。
粘る内のホットシークレットを競り落とし、外から迫り来るはずのライバルを待ち構える。
来た。外からテイエムオペラオーが迫る。
5馬身。4馬身。3馬身。2馬身。
これまで何度も後塵を拝してきた。
もう負けるわけにはいかない。
執念で1馬身の差を守り抜いた先は、夢に見た初GI制覇のゴール。

2000年宝塚記念
1着:テイエムオペラオー
2着:メイショウドトウ

2000年天皇賞(秋)
1着:テイエムオペラオー
2着:メイショウドトウ

2000年ジャパンカップ
1着:テイエムオペラオー
2着:メイショウドトウ

2000年有馬記念
1着:テイエムオペラオー
2着:メイショウドトウ

2001年天皇賞(春)
1着:テイエムオペラオー
2着:メイショウドトウ

そして
2001年宝塚記念
1着:メイショウドトウ
2着:テイエムオペラオー
「世紀末覇王」と呼ばれたテイエムオペラオーに6度目の挑戦で初めて勝った瞬間だった。

このレース、4コーナーでテイエムオペラオーには不利があり、それが無かったら結果がどうなっていたかわからない、それでも2着に突っ込んできたことでテイエムオペラオーの強さが際立った、といった意見もあります。
当時の古馬中長距離GI(天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を2000年に年間完全制覇したテイエムオペラオーが、この時代の最強馬であったことは紛れもない事実です。
しかし、「絶対にテイエムオペラオーの前で競馬をする」という決意で、3コーナーから早めの進出をした主戦・安田康彦騎手とメイショウドトウの執念がもたらした勝利であり、ただの力比べではなく、このような「勝負のアヤ」によって、様々なドラマが生まれることも競馬の魅力だと思うのです。

宝塚記念後、メイショウドトウは天皇賞(秋)3着、ジャパンカップ5着、有馬記念4着と、テイエムオペラーに勝ったことで、どこか燃え尽きてしまったような結果となりました。
一方のテイエムオペラオーも、天皇賞(秋)、ジャパンカップではメイショウドトウに競り勝って抜け出した後にアグネスデジタル、ジャングルポケットに差し切られて2着。
有馬記念はメイショウドトウに続く5着と、同じように燃え尽きてしまったようでした。
そして、メイショウドトウとテイエムオペラオーはこの有馬記念を最後に引退、後日2頭揃って合同引退式を行ったのです。

ハイセイコーとタケホープ。
トウショウボーイとテンポイント。
グラスワンダーとスペシャルウィーク。
ウオッカとダイワスカーレット。

競馬に限らず、勝負においてはライバル関係が名勝負を生み、ストーリー性を待たせ、見ているものを熱くさせます。

馬の気持ちはわかるはずもないんですが、もし2頭に話が聞けたなら、テイエムオペラオーは「あいつ(メイショウドトウ)に負けたら引退だと思ってた」と言い、メイショウドトウは「あいつ(テイエムオペラオー)に勝ったら引退してもいいと思ってた」と言うんじゃないかと思うのです。
そして、メイショウドトウに「同い年にテイエムオペラーさえいなければ、と思うことはなかったか?」と質問したら「あいつがいたから強くなれたんだよ」と微笑みながら話しそうな気がします。

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