思い出のレース PR

第57回 (1990年)東京優駿(日本ダービー)

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

広告

20万人の「ナカノ・コール」
日本競馬史上最も盛り上がっていた時代に

府中の2400mを競走生命を賭けて逃げ切った
アイネスフウジン

1990年。
空前の競馬ブームの真っ只中に開催された日本ダービー。
その入場者数はなんと19万6517人。

1番人気はメジロライアン。鞍上は22歳の若武者・横山典弘。
2番人気は皐月賞馬ハクタイセイ。鞍上は21歳の若き天才・武豊。
3番人気は3歳チャンピオンでありながら、連敗で評価を落としたアイネスフウジン。
鞍上は減量難もあって騎乗機会が減り、引退も視野に入れていた37歳のベテラン・中野栄治。

レースはアイネスフウジンがあまりスタートは良くなかったが覚悟を決めてハナを奪う。
ハクタイセイが好位、メジロライアンが中団に控える三者三様の展開。
最後の直線、ハクタイセイが一時迫るものの、アイネスフウジンが突き放す。
そして、外から追い込むメジロライアンを1馬身4分の1退けてゴール。

覚悟を決めて逃げるアイネスフウジン・中野栄治の悲壮感。
突き放されていくハクタイセイの悲壮感。
追っても届かないメジロライアンの悲壮感。
競馬の祭典・日本ダービーという華やかな舞台でありながら勝負の悲壮感のようなものが漂っていた印象があります。

タイムはそれまでを1秒更新する2分25秒3のダービーレコード。
極限の走りを見せたアイネスフウジンは、入線直後に躓くなど余力が尽き、ゆっくりとゆっくりとスタンドに戻りましたが、その人馬を待ってたのが、もはや伝説となっている20万人の「ナカノ・コール」。
テレビ観戦でしたが、鳥肌が立つほど感動したのを覚えています。
アイネスフウジンはこのレース後に左前脚の屈腱炎が判明。
復帰を目指したものの叶うことなく引退。
結果的に日本ダービーは競走生命を賭けたものとなってしまいましたが、そのダービー馬と不遇な騎手生活を送っていたダービージョッキーに競馬ファンが送った最大級の賛辞があの「ナカノ・コール」だったように思います。
レースで感じた悲壮感から一転、やさしさに包まれた素敵な時間でした。

この20万人の「ナカノ・コール」は、競馬が「ギャンブル」から「スポーツ」として認められた瞬間とも言われています。
現在は「ウマ娘」などもあり、競馬にも「エンターテインメント」や「サブカルチャー」の要素が加わっているように感じていますが、競馬の形が時代によって変わっていったとしても、人馬が命を賭けて走る姿は永遠に変わらないと思うのです。

広告

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA